やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける
平安時代の和歌集『古今和歌集』の序文 “仮名序”より。ご覧のとおり「ひらがな」で書かれています。意味のあて方はそれぞれの想いで汲みとることが楽しみ。ただ、このままだと読みづらいのでせん越ながら訳を当てはめてみますと…
(日本の)和歌は、人々の想いを元にして、多くのことばとなり、世に実りをもたらしている
という意味合いでしょうか。
ところで、なぜ「やまとうた(和歌)」について冒頭で紀貫之が述べているのか。広まりつつあった「漢詩」に対しての意識の高まりがあったという説があります。それに対して、もともと詠われてきていた歌を「やまとうた」と位置づけたのではないでしょうか。一方、紀貫之は真名序という漢文で書いた序文もあるようです。このあたりのバランス感覚が素晴らしい。
さて、カステラは洋菓子ではなく、和菓子だという説があるのはご存知でしょうか。もともと日本には、和菓子も洋菓子も区分がなく「菓子」と呼ばれていました。しかし、明治維新を経て海外からも菓子が入り、かれらが洋菓子に。対するものとして菓子が和菓子になった。ですので明治維新以前の西洋菓子、カステラはなんと和菓子に分類されるのですね。
そもそも旧来から手元にあるモノがあり、それと似たようなもうひとつモノが外から入ってくる。それによってお互いにアイデンティティが生まれる。これが繰り返されていくといっそう細分化をしていってしまいますが、それはそれで楽しむ余裕を持ちたいです。し、細かくなった場合には大元をたどっていけばよいのでしょう。それもまた楽しみ方のひとつ。
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