日本中世の古典『愚管抄』、著者 慈円のつぶやきが効いています。
現代語訳を手に取っていますが、原著は仮名文字が主体のようです。慈円いわく、「このような書を記すにあたっては漢字を多用することを求められるかもしれないが、仮名文字を使っている」。「仮名文字の方が読める人が多いでしょ」。
というスタンス。
また、自身の主張に関しても「言いたいことは山ほどあるけれども、あまり主張だらけで仰々しくなると読む人も退屈になる。よって、言いたいことをカットして記しているのです」とも。
この愚管抄は第七巻まである構成。かつ、第三巻から書き始めたという慈円は、第七巻まで書き終えたのちに、第一巻と第二巻を書き添えた経緯があります。よって校正をよくよくされた方なのでしょう。
そのような意図も書に記しているため、慈円のイイタイコトに耳を傾けてみたくなります。言いたいことを思いきってカットしていくと、自己の主張も鋭くなっていくのではないでしょうか。
誰かと打ち合わせをするときなどにも、しっかりと構成を考え、練ることは有効です。
コメント