『神皇正統記』『愚管抄』と読み進め、次は『読史余論』へ。いずれも近代以前にひとりの人物が歴史を書き上げた書。
いまでこそひとりの学者が歴史を書き上げるのは出来得る(想像だにできないくらい大変なことだと思いますが)ことなのかもしれません。しかし、近代以前にそれぞれの著者はいまとは比べモノがないくらい情報量が少ない世の中で、どのように情報をまとめ上げたのか。そのようなことも含みながら読み進めると、楽しみもまた違ってきます。
プラス、中世までは「怨霊」という概念が加わってきます。この怨霊という概念が歴史を動かすこともあったと言います。そして確かに愚管抄では怨霊が出てきます。怨霊というものを本当に信じていたのかどうなのか、でも、怨霊というモノを恐れていたと考えると腑に落ちるのも中世以降の古典。
歴史を語ることに想像力は必要だったでしょうし、読み手としてもその想像力に乗っかる形で古典を味わっていきたい。古典はたのしむところがたくさんです。
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