枡(升)の規格を定めるとか、そのような類のことは豊臣秀吉の十八番と思っていましたが、どうやらそれ以前からもあったそうで。
日本中世、平安時代。後三条天皇が定めたのが「延久宣旨枡(えんきゅうせんじます)」。後三条天皇にせよ、豊臣秀吉にせよ土地をめぐって測り方の工夫をこらされたことになります。
残念ながら、平安時代以降、南北朝時代には “私枡” が作られ、公の枡の勢いはなくなっていったと言います。
『愚管抄』の記述によると、後三条天皇は御殿の砂で実際に分量を測られることまでしたというのですから延久宣旨枡がなんだか身近に感じてきます。
あまりにも日常生活では当たり前のことなので気にしませんが、物事を測る基準にもそれぞれ物語がある。そう考えると、日常生活に楽しむ要素が増えてきます。
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