「たべれる」などでよく指摘される “ら” ぬき言葉。指摘する方もそれほど語気がつよいわけではないでしょう。ただ、自分が「たべられる」と言葉に出すと、なんだかその語感の方が心地よい気がして、思わず指摘してしまう。そんな流れもあるような。
言葉は変化をする。よく言われる言葉です。私はイギリスはウェールズ、スコットランドに友人がいるのですが、お酒の席での「乾杯」。彼らは英語とは違った独自の言葉(ケルト語の仲間)ももっていて、それらの乾杯を聞くと新鮮で目が覚めるかのような気分になります。
ウェールズ語の乾杯は、
Iechyd da!
ヤヒダー
です。
いかがです?ちょっと新鮮ですよね。イギリス - 正確には グレートブリテン及び北アイルランド連合王国( United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland) - は英語が公用語なのですよね。さらにいうと10世紀から数世紀にかけて、イギリスに違う文化が入り、そこでイギリス英語にも変化が訪れた経緯があります。同じことは日本にも言え、さまざまな文化がはいり母国語が変化をしてきています。
生き物に成長(と衰え)は必然のもの。まわりが成長すれば、自分にも影響がでてくることになります。成長は大なり小なり矛盾を抱えるもので、対応するのが難しいこともあるでしょう。ただ、人間が歩んできた歴史で言葉ですらゆっくりと変化をしてきていて、いま現在でも自分たちはその変化の中にある。このような視点をもてば変化もまたひと味かわってくるでしょう。
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